びっくりしました.本日アウンサンスーチー女史が国軍に拘束されたというニュースが流れました.
ん!?拘束? どういうことだ? 何かの不正の疑いで当局に拘束されたってことかな?
いや,まてよ.国軍に拘束された...ということはクーデター!
タイのお隣の国,ミャンマーでの出来事です.
アウンサンスーチー
ラテン語表記でAung San Suu Kyi,アウンサン・スー・チーとしたりアウンサン・スーチーと区切ったりしますが,ミャンマー国内ではアウンサンスーチーと一語で表記されるようです(Wikipediaより).
スーチー女史は「ビルマ建国の父」アウンサン将軍の娘で,国民民主連盟(NLD)の党首であり,昨日まで国家顧問兼外相でした.国家顧問とは事実上の最高指導者という立場です.西側諸国では「民主の女神(goddess of democracy)」と呼ばれていたぐらいで,象徴的な存在でした.
アウンサンスーチーは大学の後輩でもある東洋学者マイケル・アリスと1972年に結婚します.父アウンサン将軍の研究のために日本語を勉強したり,日本にしらばらく滞在しています.その後1988年に彼女の母が危篤ということで母国ビルマに帰りました.夫妻は離れ離れになってしまいました.
帰国後彼女はビルマの民主化運動の指導者となり,夫のマイケルはロビー活動によって外側から彼女を支援していたそうです.マイケルは1999年に病気で亡くなっています.夫のマイケルはビルマへ入国しようとしたが軍政は拒否,妻のアウンサンスーチーも夫の元へ行きたかったと思いますが,一度国を出ると元に戻れない可能性があるため出国できず,とうとう二人は再会できなかったそうです.切ないですね.
2010年に自宅軟禁を解除され,彼女の政治活動が再開されます.諸国を歴訪し様々な賞や称号を授与されています.2015年の総選挙ではNLDが大勝をおさめ,その後ミャンマーの最高指導者となりました.
ノーベル平和賞
1988年に軍事クーデターが起きてその翌年にアウンサンスーチーは拘束されます.それから長い間自宅軟禁→開放→自宅軟禁→開放のような状態が続きます.ボクがアウンサンスーチーを知ったのは自宅軟禁状態にも関わらず,ノーベル平和賞を受賞したときのことでした.
アウンサンスーチーがノーベル平和賞を受賞したのは1991年のことです.ちなみにその前年はゴルバチョフ氏で,その2年後にネルソン・マンデラ氏が受賞しています.彼女の受賞理由は「ミャンマーの人権と民主主義の確立のための非暴力闘争に対して」ということです.
彼女の著書を学生の頃に学校の図書館で読みました.かなり昔のことなので著書名も中身もほとんど覚えていませんが,自宅軟禁中で不自由な生活どころかものすごい迫害を受けながらでも,ユーモアがあってとても聡明な女性で,希望を持ちつつ諦めないで前進していく信念を持った方だという印象でした.
当時若かったボクはアウンサンスーチーのことを,逆境の中で諦めずに戦いながら,自宅軟禁状態にも関わらずとうとうノーベル平和賞をも受賞したのだ!世界がこの女性を称え,彼女の正義を証明したのだ!この世界にはすばらしい女性がいるんだな,と大変深い感銘を受けたのを覚えています.
その後のミャンマーとアウンサンスーチー
2011年の文民政権発足から西側諸国からの経済制裁も徐々に解かれていくにつれ国外からの投資も増え,「アジア最後のフロンティア」として近年ではますます注目を浴びて,日系企業の進出も続いていました.アウンサンスーチー政権になってから経済成長は減速したと言われていますが,それでも2016から2018年のGDP成長率はタイを越えています(JETROより).
しかし,いわゆるロヒンギャの問題でアウンサンスーチーはいくつかの称号を剥奪されてしまいました.ノーベル平和賞についても剥奪せよと署名が集まったようですが,ノーベル委員会の発表では「剥奪はない」としています.というのは規則として定められているのと,「受賞者の受賞後の行動を監督・検閲することはわれわれの職務ではない」ということです(ロイターより)」.実際に民主主義と自由への闘争に対してのノーベル平和賞なので,それまでの努力と功績自体を否定することはできませんね.
まとめると
ともあれタイの隣国であるミャンマー,そこに住む市民たちのためにも早く混乱が収束することを願っています.